お問い合わせフォーム弁護士プロフィール医療機関のための弁護士相談 リーガルコンサルタントのご案内

判例解説

能書(添付文書)違反事件

能書(添付文書)違反事件
 ― 最高裁判所平成8年1月23日判決

【前提事実】

X1(7歳男児)は、昭和49年9月25日深夜、腹痛と発熱を訴えて、救急車でY1が経営する病院に搬送されたが、同日午後3時40分頃までに、同病院の外科医Y2の診察を受け、化膿性ないし壊阻性の虫垂炎に罹患しており、虫垂切除手術が必要であると診断され、X1の両親X2・X3がY1との間で虫垂切除手術(本件手術)及びこれに付帯する医療処置を目的とする診療契約を締結し、Y2によって本件手術が実施されることになった。

Y2は、午後4時25分、X1を手術室に入れ、偶発症に備えて血管確保の意味で点滴を開始し、午後4時32分頃、X1の第三腰椎と第四腰椎の椎間にルンバール針を用いて、0.3%のペルカミンS(本件麻酔剤)1.2mlを注入し、腰椎麻酔(以下「腰麻」ともいう)を実施した。右麻酔実施前の午後4時28分のX1の血圧は112/68、脈拍は78であり、麻酔実施後の午後4時35分の血圧は124/70、脈拍は84で、いずれも異常はなかった。

Y2は、A看護婦に対し手術中常時X1の脈拍をとり5分ごとに血圧を測定して報告するよう、また、F看護婦長に対しX1の顔面等の監視に当たるよう、それぞれ指示したが、本件麻酔剤の添付文書(能書)には、「副作用とその対策」の項に血圧対策として、麻酔剤注入前に1回、注入後は10ないし15分まで2分間隔に血圧を測定すべきことが記載されていた。

Y2は、開腹後、ペアン鉗子でX1の虫垂根部を挟み、腹膜の辺りまで牽引した午後4時44、5分頃、急にX1が「気持ちが悪い」と悪心を訴え、同時にAが脈が遅く弱くなったと報告した。Y2は、「どうした僕」とX1に声をかけたが、返答はなく、顔面は蒼白で唇にはチアノーゼ様のものが認められ、呼吸はやや浅い状態で意識はなかった。Aから、血圧は触診で最高50との報告があり、午後4時45分ころ、手術は中止された。

Y2は、看護補助者Cに外科部長Y3に連絡するよう指示し、X1の気道を確保しながら酸素マスクが顔面に密着するよう押し付け、酸素が毎分4Lの割合で流れるように調節し、バグを握縮加圧して、X1の自発呼吸に合わせ酸素を圧入したが、次第にバグの加圧に抵抗が生じ酸素の入りが悪くなった。Y2は、昇圧剤メキサン1アンプルを三方活栓から急速静注させ、心電図モニターによる監視を開始させた。モニターの波形はかなり不規則で心室性の期外収縮が見られ、低電位であったが、心室細動はなかった。X1は漸次自発呼吸がなくなっていった。

午後4時46分ころ、Y3は、Cからの連絡で直ちに手術室に駆け付けたが、X1の自発呼吸はほとんどなく、モニターの波形は不規則、低電位であり、心室細動に移行する前段階の状態を呈していた。

Y3は、Y2から報告を受けた後、Aに副腎皮質ホルモン剤ソルコーテフ100mgの静脈急注とノルアドレナリン一アンプルの点滴液内の混注を指示し、自らは心マッサージを実施した。Y3到着から約1分後にD医師も到着し、緊急処置に加わった。Dは、気管内挿管を実施し、Y2に代わって呼吸管理をし、Y2は、Y3と交代して心マッサージを行った。しかし、X1は、午後4時47、8分ころ、心停止の状態に陥った。Y3は、再びY2と代わって心マッサージを行うとともに、直接心臓腔内にノルアドレナリン一アンプルを注射し、また、Dが酸素の送入に苦労しているのを見て聴診器でX1の肺を聴診したところ、喘息様の音が聴かれたので気管支痙攣によるものと判断し、気管支拡張のため、Aにボスミン2分の1アンプルの右上膊部筋注を指示した。

午後4時55分前、X1に心拍動が戻り、間もなく自発呼吸も徐々に回復し、午後4時55分の血圧は90/58、脈拍は120となり、以後は血圧、脈拍ともに安定したが、X1の意識は回復しなかった。

X1は、その後複数の病院に転院し、昭和50年6月22日からは自宅療養を続けたが、脳機能低下症のため、頭部を支えられた状態のもとで首を回すことができるだけで、発作的にうなり声、泣き声を発し、発語は一切なく、小便は失禁状態、大便は浣腸で排便し、固形物の摂取は不可能で、半流動物を長時間かけて口の中に運んでやらねばならない状態であり、将来にわたり右状態は継続する見込みである(なお、平成9年死亡)。X1、X2、X3は、Y1、Y2、Y3を提訴。

第1審(名古屋地判昭60年5月17日)は、後遺症の原因は迷走神経反射もしくはアナフィラキシーショックのいずれかまたは双方が発端となり心停止が起こったことによるとし、これらを事前に予測することは不可能であるとして、Yらの責任を否定した。

第2審(名古屋高判平3年10月31日)は、心停止の原因を迷走神経反射とし、能書に注入後2分間隔の血圧測定が指示されていたにもかかわらず5分毎の血圧測定を指示したY2に管理・監視義務を怠った過失があるとしたが、当該過失本件後遺症との間に因果関係がないとして、Y2の責任を否定した。

【裁判所の判断】

「人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和36年2月16日判決)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和57年3月30日判決、最高裁昭和63年1月19日判決)。

そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが(最高裁平成7年6月9日判決)、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。

ところで、本件麻酔剤の能書には、「副作用とその対策」の項に血圧対策として、麻酔剤注入前に1回、注入後は10ないし15分まで2分間隔に血圧を測定すべきであると記載されているところ、原判決は、能書の右記載にもかかわらず、昭和49年ころは、血圧については少なくとも5分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったとして、当時の医療水準を基準にする限り、Y2に過失があったということはできない、という。

しかしながら、医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである。

そして、前示の事実に照らせば、本件麻酔剤を投与された患者は、ときにその副作用により急激な血圧低下を来し、心停止にまで至る腰麻ショックを起こすことがあり、このようなショックを防ぐために、麻酔剤注入後の頻回の血圧測定が必要となり、その趣旨で本件麻酔剤の能書には、昭和47年から前記の記載がされていたということができ、…(中略)…他面、2分間隔での血圧測定の実施は、何ら高度の知識や技術が要求されるものではなく、血圧測定を行い得る通常の看護婦を配置してさえおけば足りるものであって、本件でもこれを行うことに格別の支障があったわけではないのであるから、Y2が能書に記載された注意事項に従わなかったことにつき合理的な理由があったとはいえない。」として、Y2の注意義務違反を認めた。

【ポイントの解説】

1)本件で、最高裁は、医師の注意義務の基準として、前項で取り上げた医療水準論を掲げつつ、その判断要素として、能書の記載を重視しました。 すなわち、医師が能書に「記載された注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき『特段の合理的理由』がない限り、当該医師の過失が推定される」とした部分が判決の本質部分となります。
これは、どういうことかというと、能書違反で医療事故が発生した場合、医療機関側の注意義務違反を推定し、医療機関側に能書に従わなかったことについて「特段の合理的理由」の存在を主張証明すべき責任が転嫁されたことを意味します。
そして、本件発生当時、本件麻酔剤の血圧対策としては、広く5分毎の血圧測定が実施されていたようですが、それは、医療慣行にすぎず、これに従ったY2に合理的理由はないとしました。

2)そして、紙面の関係で割愛させていただきましたが、本件判決は、X1は、虫垂根部の牽引を機縁とする迷走神経反射が起こる前に腰麻ショックを起こしており、Y2が能書の指示する2分ごとの血圧測定を実施していれば、血圧低下に対する措置を怠ることもなく、虫垂根部を牽引して迷走神経反射を引き起こすこともなかったとして、それに続く徐脈、急激な血圧降下、気管支痙攣等の発生を防ぎえたとして、Y2の注意義務違反と本件後遺症との間に因果関係を認めました。

(千賀 守人)

医療機関・企業・個人の法律相談はあいわ総合法律事務所へ
中小企業に関する法律相談
成年後見に関する法律相談
医療機関に関する法律相談はこちら
会社の従業員管理は適切ですか?
費用について